パンフレットの面白い知識

パンフレットはこんなシーンにも配られていた ~明治時代の粋な一大イベント

「パンフレット」といえば、どのようなものを想像しますか?

デジタル時代といわれる現在にあっても、私たちの周りには、旅行・観光パンフレット、映画パンフレット、会社案内、学校案内、商品・サービス案内……など、実にさまざまな紙製パンフレットが存在します。

ところで、時代をさかのぼること130年ほど前にもパンフレットが存在し、有効に活用されていました。しかし、それは、私たちが想像するパンフレットとは違ったものでした。

今回は、明治時代に開催された酢メーカーによる一大イベントと、そこで配布されたパンフレット、そしてイベントが開催されるまでの経緯について、ご紹介します。

酢といえば「丸勘」印

時は江戸時代後期。
当時の文献によると、江戸で使われている酢は、専ら、尾張名古屋の「丸勘」印(「勘」の字を丸で囲んだマーク)が付いた酢であった、と伝えています。

ミツカンの二代目中野又左衛門は、尾張半田(現在の愛知県半田市)の地で、酢の製造を本格的に開始し、屋号として「酢屋勘次郎」を用いました。この勘次郎の「勘」を取って、又左衛門の造った酢は「丸勘印酢」と称されました。

当時、酢の醸造業者(酢屋)は、「勘」の字を付けた名前を名乗ることが多く、酢屋の樽印として丸勘印が使われるのは決して珍しいものではなかったようです。尾張最大の都市・名古屋でも、中野又左衛門よりも前から酢造りを始め、名古屋の市場の多くを押さえていた笹田伝左衛門という人物が、「酢屋勘三郎」を名乗っていました。このほか、名古屋には、丸勘印を樽印とする複数の酢屋が存在していました。

丸勘印の中野製の酢は、江戸へ出荷され、幕末期以降、江戸での売り上げを伸ばしていきました。これに伴って、丸勘印は、半田・中野又左衛門のブランドとして次第に浸透していきます。

商標登録でライバルに先を越されてしまう

明治時代になって、四代目又左衛門が経営に携わるようになり、事業は順調に進展し、販路も着実に広がっていきます。明治初期には、又左衛門の酢は、尾張を代表する物産の一つとして数えられるまでになりました。
また、戸籍法が整えられる過程で、四代目又左衛門は、名字を「中野」から、現在の「中埜」に変えます。

「丸勘」印を自らのブランドとして次第に浸透させてきた又左衛門でしたが、明治17年(1884年)に商標条例が公布されると、自分の商標を専有するために、商標登録所に出願して登録を受けなければならなくなりました。複数の業者が同じ商標を使用することは認められなくなったのです。

そこで、又左衛門は、商標条例の施行と同時に、長年使用していた丸勘印を商標として出願しました。

しかし、3日遅れで笹田伝左衛門に先を越され、登録されることはありませんでした。商標条例において、同一の商標が出願された場合、出願日の早い方を採用することが定められていたためです。
又左衛門だけでなく、当時ともに丸勘印を使用していた笹田伝左衛門も、その印を自らの商標にしようと考えていたのです。
もし、1日でも又左衛門の出願が早ければ、丸勘印が商標として現在も使われていたかもしれません。

三に○を付けた「ミツカン」商標が誕生

四代目又左衛門は、丸勘印に代わる商標を考え出す必要に迫られます。
そこで、彼は屋敷にこもり、新たな商標づくりに取り組みます。

そして、又左衛門が考えに考えて生み出したのが、家紋の「三」の字の下に記号の「◯」を付けた「三ツ環(ミツカン)」印です。三の字の下に○を付けたのは、「天下一円にあまねし」という易学上の理念からだそうです。
この商標は、明治20年(1887年)5月26日に無事登録され、ここに、現在も使われているミツカンマークが誕生しました。

ミツカン印お披露目イベントにパンフレット配布。新商標を知らしめるための試み

新しい商標「ミツカン」印を浸透させるために、四代目又左衛門は、さまざまな披露方法を考えました。

中でも、圧巻だったのが、当時熱狂的な人気を集めていた、東京の歌舞伎の芝居小屋(新富座)を1日借り切って開催した「東京披露会」。
約1,500人を招待し、その招待客全員に、新商標の由来を記したパンフレット、新商標の入ったかんざし、徳利(とっくり)や猪口(ちょこ)などを配ったそうです。
舞台では、九代目市川団十郎ら一流の歌舞伎役者による芝居が行われました。そして、客席には、商標を染め抜いたハッピや半纏(はんてん)をさっそうと羽織った店員が、お弁当やお茶、お酒などを運びにやって来ます。

大衆の度肝を抜いた大規模な商標お披露目イベント。文明開化の新しい気運をとらえ、時代に合った宣伝方法だったともいえるのではないでしょうか。進取の気性に富んだアイデアマンだった四代目中埜又左衛門だからこそできた仕掛けだったと考えられます。

一方、この一大イベントの招待客に対しては、相当なインパクトを残したはずです。彼らの目には、ミツカンの商標が焼き付いたのではないでしょうか。パンフレット片手に、家族ら相手に得意げな様子で話す招待客の姿が目に浮かびます。

あっ、そうだ、パンフレットといえば、コンサートや格闘技などのイベントのパンフレットもありましたよね…。

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